ゆるぎない信念、そして、続ける事

 元ACCEPTのUDO,の音楽性、それはACCEPTデヴュー当時から変わってない。いまも、ウド・ダークシュナイダーのVoは昔から独特、悪く言えば下手糞だ。彼は、いまだU.D.Oとして現役で音楽活動を続けている。1979年デヴューから。決して商業主義に陥ることはなく、「俺たちのやりたい音楽は昔からこれなんだ!」という信念、そして継続。大衆は愚かで飽きっぽい。大衆迎合主義はともすれば、ファシズムに陥る。俺は、会社員もやっていた事もあるが、会社のために働くという風潮にはうんざりしたのだ。会社と言う法人は営利のために存在する。営利の為ならなんでもやる。非人道的なことなど当たり前なのだ。しかし、生きる為には金が要る。金の為なら何でもする。金さえあればなんだって欲しいものは手に入る。金を稼ぐことがいかに汚い事か。ゆえにイエス・キリストは商人を嫌った。江戸時代の日本だって身分制度士農工商といって、商人を卑しいものとされていた。かつてユダヤ人が嫌われたのは、金を稼ぐ事の能力が秀でていたからだ。合理的に考えれば、金さえあれば、働かなくていいのだ。俺は、貧乏だ。貧乏人は、知恵と体力で金を稼ぐしかない。強くならなければならない。病気ゆえに長いこと家に引きこもっていたが、リハビリを兼ねて年末年始の郵便局のアルバイトをする事にした。まずは、体力をつける事。これが大切。体を動かす事。これは、脳を活性化させるためには、重要な事。病気の間、死にたい、死にたいと考えていたが、これは親不孝だと思った。一時期は本当に燃え尽きたのだ。かといって、いわゆるサラリーマン生活は不可能だろう。俺は誰にも雇われない。昔から集団が嫌いだった。弱い物ほど群れたがる。これをニーチェは畜郡本能といった。俺は俺の心のままに生きる。そのためには強くなるしかない。